大判例

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最高裁判所第一小法廷 平成11年(オ)133号 判決

上告人

甲野花子

右代理人弁護士

小濱意三

小濱樹子

被上告人

甲野太郎

被拘束者

甲野一郎

右代理人弁護士

爲末和政

右当事者間の広島地方裁判所平成一〇年(人)第三号人身保護請求事件について、同裁判所が平成一一年一月七日に言い渡した判決に対し、上告人から上告があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

原判決を破棄する。

本件を広島地方裁判所に差し戻す。

理由

上告代理人小濱意三、同小濱樹子の上告受理申立て理由について

一  原審の認定した事実関係の概要は、次のとおりである。

1  上告人(請求者)と被上告人(拘束者)とは、平成六年九月七日に婚姻し、同人らの間には、同八年一月一日被拘束者が、同九年一二月二七日甲野春子がそれぞれ出生した。上告人と被上告人とは、婚姻後、被上告人宅で生活していたが、上告人と被上告人の両親及び姉との折り合いが良くなかったことから、次第に夫婦の仲も悪化し、上告人は、同一〇年七月二四日、二人の子を連れて被上告人宅を出て、広島県A市所在の婦人保護施設であるB寮に二人の子と共に入寮した。

2  平成一〇年九月に、上告人は被上告人を相手方として広島家庭裁判所に離婚調停を申し立て、被上告人は上告人を相手方として同裁判所呉支部に夫婦関係円満調整の調停を申し立てたところ、離婚調停は、同支部に回付された。さらに、同年一〇月、被上告人が同支部に被拘束者及び春子との面接交渉を求める調停を申し立てたので、以上の調停事件は全部併せて行われることとなった(以下、各調停事件を併せて「本件調停」という。)。

3  被上告人は、平成一〇年一一月一二日の本件調停の期日において、被拘束者及び春子と面接することを要望した。上告人は、調停委員から被上告人の心を和らげるために右の面接をさせたらどうかと勧められ、また、上告人としても本件調停を円滑に進めるためには、被上告人の要求に応じることが必要であると考えたことから、同月二六日の本件調停の期日において、これを了承した。そして、右期日において、調停委員を介した協議の結果、上告人と被上告人の間で、同年一二月一〇日に広島市所在の児童相談所において被上告人と二人の子が面接することの合意が成立し、本件調停の次の期日は、同月二四日と指定された。

4  右に予定された面接は、春子が発熱したために中止され、上告人と被上告人とは、改めて協議し、平成一〇年一二月一九日午後三時から上告人の代理人である弁護士の事務所で面接することを合意した。そして、同日午後三時から右事務所の打合せ室において被上告人と二人の子との面接が行われた。右打合せ室は、外部に通じる扉を机で封鎖してあったが、被上告人は、同日午後三時三〇分ころ、ひそかに右机を除去して右扉を開け、二人の子のうち被拘束者を強引に連れ去った。

5  被上告人は、平成一〇年一二月二四日の本件調停の期日に出頭せず、同日、本件調停のうち上告人の申立てに係る離婚調停は不成立により終了した。

6  被上告人は、医師であり、被上告人及びその親族の共有する四階建てビルの一階において眼科を開業している。被上告人の住居は、右ビルの四階にあり、右ビルの二階に被上告人の両親、同三階に被上告人の姉夫婦がそれぞれ居住し、被上告人並びにその両親及び姉が被拘束者の監護養育に当たっており、監護養育状況は良好である。

7  上告人は、現在、無職であって、春子と共に両親宅に戻り、両親のもとで生活しているが、将来は経理関係の職に就くことを希望している。上告人は、被拘束者の引渡しを受けた場合、当面、B寮において監護養育することを予定しているが、将来、両親宅に隣接する上告人の父所有の建物に居住する予定である。

二  原審は、右事実関係の下において、被上告人が被拘束者を連れ去った行為の態様は悪質であるが、被上告人並びにその両親及び姉による被拘束者の監護養育状況は良好であり、上告人が被拘束者の引渡しを受けた場合に同人を監護養育することを予定しているB寮は同人の監護養育にとって必ずしも良好な環境であるとはいえないことからすると、被上告人による被拘束者の監護が同人の幸福に反することが明白であるということはできず、被上告人による被拘束者の拘束が権限なしにされていることが顕著であるとは認められないと判断して、上告人の本件人身保護請求を棄却した。

三  しかしながら、原審の右判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。

前記事実関係によれば、上告人と被上告人は、本件調停の期日において、調停委員の関与の下に、現に上告人が監護している二人の子を日時場所を限って被上告人と面接させることについて合意するに至ったものであり、被上告人は、右の合意によって二人の子との面接が実現したものであるにもかかわらず、その機会をとらえて、実力を行使して被拘束者を面接場所から被上告人宅へ連れ去ったのである。被上告人の右行為は、調停手続の進行過程で当事者の協議により形成された合意を実力をもって一方的に破棄するものであって、調停手続を無視し、これに対する上告人の信頼を踏みにじったものであるといわざるを得ない。一方、本件において、上告人が被拘束者を監護することが著しく不当であることをうかがわせる事情は認められない。右の事情にかんがみると、本件においては、被上告人による被拘束者に対する拘束には法律上正当な手続によらない顕著な違法性があるというべきである。被拘束者が、現在、良好な養育環境の下にあることは、右の判断を左右しない。

四  そうすると、原審の判断には人身保護法二条、人身保護規則四条の解釈適用を誤った違法があり、右違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。論旨は理由があり、上告理由について判断するまでもなく、原判決は破棄を免れない。そして、前記認定事実を前提とする限り、上告人の本件請求はこれを認容すべきところ、本件については、幼児である被拘束者の法廷への出頭を確保する必要があり、この点をも考慮すると、前記説示するところに従い、原審において改めて審理判断させるのを相当と認め、これを原審に差し戻すこととする。

よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官藤井正雄 裁判官小野幹雄 裁判官遠藤光男 裁判官井嶋一友 裁判官大出峻郎)

上告理由書〈省略〉

上告人代理人小濱意三、同小濱樹子の上告受理申立て理由

一 原判決には、法令違反ないしは判例違反の違法があるので破棄されるべきである。

1 本件は、夫婦の一方が他方に対して人身保護法に基づき幼児の引渡を請求する人身保護請求である。

これにつき、最高裁判所第三小法廷平成五年一〇月一九日判決(判例時報一四七七号二一頁)は、「拘束者による幼児に対する監護・拘束が権限なしにされていることが顕著である(人身保護規則四条参照)ということができるためには、右幼児が拘束者の監護の下に置かれるよりも、請求者に監護されることが子の幸福に適することが明白であることを要するもの、いいかえれば、拘束者が右幼児を監護することが子の幸福に反することが明白であることを要するというべきである」とした。

しかしながら、その後、最高裁判所第二小法廷平成六年(オ)第七六一号平成六年七月八日判決(判例時報一五〇七号一二四頁)は、調停事件係属中に、調停委員の関与の下に形成された合意に反して、被拘束者の拘束を継続した拘束人に対する人身保護請求につき、「上告人(拘束者)が調停委員会の面前でその勧めによってされた合意に反して被拘束者らの拘束を継続し、被拘束者らの住民票を無断で上告人の住所に移転したことなどの事情にかんがみ、本件拘束には、人身保護法二条、人身保護規則四条に規定する顕著な違法性があるものとした原審の判断は、正当として是認することができ」ると判示したうえ、前記平成五年判決は「事案を異にし本件で適切でない」とした。

これは、人身保護法二条、同規則四条の解釈につき拘束が子の幸福に反することが明白であるといった前記平成五年判決判示の観点からではなく、端的に顕著な違法性があるか否かが判断されるべきことがあることを示したものである。

2 そこで、本件と右平成六年判決での事案とを比べてみると、平成六年判決では拘束者による被拘束者の住民票が移転されているという点があるものの、いずれも調停委員会関与の下で形成された合意に反して拘束がなされていること、いずれも一般に幼児の監護に好ましいと考えられる母親からの請求であること、といった共通点が認められる一方、平成六年判決事案は、合意に反して幼児を請求者に帰さないという不作為であるのに対し、本件は連れ去りという作為であること(しかも、拘束者の連れ去りの態様は、机で封じられていたドアを無理やりに開くという悪辣なものである)、平成六年判決事案は、第一回調停期日で形成された合意に反したものであるが、本件では二回の期日に渡って面接させる旨が話し合われ、その中で幼児を連れ去らないという旨が特に強く約束されていたこと、平成六年判決では、拘束者は、被拘束者二名の姉妹の拘束を継続したものでありその限りで姉妹間の情愛交流には特別の問題はないと考えられるのに対し、本件では、兄妹二名のうち兄のみを連れ去っており、兄妹間の情愛交流の機会を奪うものであること、本件は弁護士事務所からの連れ去りであり、社会に及ぼす不安の感情は平成六年判決の事案よりも強いと考えられること、といった本件連行の違法性を強く基礎付ける事情が存するのである。こうした事情によれば、たとえ幼児の住民票移転の事情が本件ではないとしても(もともと、被拘束者の住民票上の住所は拘束者方にある)、本件連行行為の違法性が平成六年判決の事案に比べて弱いとは決して考えられない。

3 そもそも、拘束が子の幸福に反することが明白か否かという観点を介するまでもなく、人身保護法二条、同規則四条に規定する顕著な違法性ありと判断した平成六年判決の趣旨は、調停での合意に反して幼児を拘束する行為は、既に開始された家事事件の裁判所による運用に対する信頼を著しく損なう行為であり、司法への信頼の低下によって、当事者のみならず広く社会に限りない不安と恐怖を与えるものであること、あるいは、調停での合意に反したとしても子供を連れ帰ることが仮に是認されるようなことがあれば、調停での話合いが円滑に行われることは望むべくもなくなって、裁判所における調停制度自体の機能・権威が著しく損なわれることになり、司法(調停)軽視の風潮を招来しかねないことから、信義に反して許されないということにあると考えられるものである。

また、調停での合意に反するという手続違反により、夫婦の一方による監護は親権に基づくものとの推定が破れ、その場合の拘束者は非監護権者に準じた解決を図るべきことが含意されているとも考えられるものである。

そうであれば、平成六年判決と本件とで結論を異にすべき理由は見当たらない仮に本件において被拘束者の解釈が認められないとすれば、子の帰趨をめぐって別居中の夫婦が対立する多くの事案において、子との面接が調停の中で合意されることは事実上皆無になり、家庭裁判所の調停機能を著しく損なうことになるおそれがある。

4 しかるに、原判決は「本件合意は、調停委員の関与のもとに形成された合意であり、その意味では、本件合意には公的な側面があることは否定できないし、また拘束者による本件連行の態様は看過し難いものがある」として、拘束者に調停での合意違反という手続違反を認定しながらも、「拘束者による被拘束者の拘束が、拘束者による幼児に対する監護・拘束が権限なしにされていることが顕著である(人身保護規則四条)とは認められない」とするものであり、人身保護法二条、同規則四条の解釈適用を誤り、かつ、前記平成六年の最高裁判所判例にも違反するものと言わざるを得ない。

二 原判決には重大な経験則違反がある。

原判決は、「手続違背の故に拘束の違法性が顕著であるといい得るのは、子の福祉の観点からの検討を不要とする程度に違法性の程度が高度であることを要すると解するのが相当である。そこで、これを本件についてみてみると、被拘束者の現在の監護養育状況は極めて良好であること」としたうえで、「他方、被拘束者が本件においても釈放された後においても、請求者は「B寮」においてこれを監護養育する予定であるが、右「B寮」は被拘束者の監護養育にとって必ずしも良好な環境であるとはいえない」と判示する(同二一頁)。しかし、右B寮の養育環境に関する認定は経験則に反し、判決の結果を左右する明白な事実誤認である。

右B寮の養育環境に問題が存しないことは、甲第一七号証で示されているように、外部との接触、節句行事やクリスマス等の情操活動、英会話等の幼児教育があることや、甲第一六号証での子供の笑顔からも明らかである。むしろ、B寮は、社会福祉法人呉B会によって、広島県立婦人相談所と連携しながら運営されている婦人保護施設であって、母子同伴で保護を求めてくる婦人も多いことから、子供の監護養育のための配慮が十二分に備わっている施設であり、入寮を許される婦人子供にとって、良好な養育環境を提供する場合であることは経験則上も明らかである。

しかるに、かかる経験則を採用せず、B寮は被拘束者にとって必ずしも良好な環境であるとはいえないとし、これをもって拘束者の手続違背の違法性との衡量事由ととらえた原判決には、判決の結果を左右すべき経験則違反の違法があるといわざるを得ない。

なお、もとより、請求者が当面B寮において監護養育する予定であるとしていたのは、拘束者の性向に鑑み拘束者が再度幼児を連行することを請求者がおそれていたためであり、いわば拘束者の対応が請求者をしてB寮への入所継続を決意させていたものである(なお、請求者は、平成一一年一月二五日から実家に比較的近い広島市西区三篠三丁目〈番地略〉に所在する株式会社光伸にて月給約二〇万円でワープロオペレーターとして就職することが内定している。そのため、今後は速やかにB寮の退寮手続をし、引き続き実家の隣家にて生活を続ける予定である)。したがって、B寮の監護養育環境が好ましくないことを拘束者が主張するのは、そもそも信義に反するものと考えられるものであることを付言する。

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